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志賀 直哉 | 1883-1971 | ゆとうや文学シリーズ2 |
大正・昭和の小説家。武者小路、有島らと「白樺」を創刊。その文学は近代写実主義の極致といわれ、日本の文学界に多大な影響を与えた。大正2年けがの後養生に入湯に来て、名作「城の崎にて」を生んだが、その後も再三来遊している。後に大作「暗夜行路」を顕す。 |
志賀直哉・文学碑 |
藤城崎温泉在住の画家、藤野つとむ氏が昭和44年城崎のポスター作成に当たって志賀直哉先生にご協力をいただいたお礼に東京のご自宅に参上したときの話を志賀直哉先生の思い出「城崎」として談話文に書かれています。その中からエピソードの一部を紹介します。 大正2年8月「城崎温泉」を訪れた時の思い出・・・・・。 〈 宿のこと 〉 駅から車に乗った。 私は城崎で一番いい宿はどこかとたずねたところ車夫が案内してくれた宿は「ゆとうや」であった。車はその「ゆとうや旅館」へ着き、泊まれるかどうかたずねることにしたが、丁度折り悪く、その旅館の中に水がたまっていて(浸水)入ることが出来なかった。約30分も待ったろうか、水はなかなか引きそうになかった。そうこうしている内に私は仕方なく他に泊まるところはないか車夫にたずねた・・・・・。 ・・・・・・・上の方に連れて行き、落ち着いたのが三木屋であった。 〈 朝食のこと 〉 旅館に泊まった時、私は朝食に困った。 と言うのは当時宿屋は前夜の冷飯に漬物程度の朝食を入湯・湯治客に出し、価格が一円だった。当時の城崎は療養等の湯治客が殆どで私もその仲間とされたからだ。 私はいつも朝食はパンとバターですませるのだから城崎に来て困ってしまった。 早速近くの「みなとや」という菓子屋にパンとバターを取り寄せるようたのんでもらい、神戸から取り寄せてもらったことをよくおぼえている。 〈 文学碑のこと 〉 昭和40年城崎に出来た私の文学碑について是非と依頼されたので、私はにが手な筆を一生懸命とった。何枚書いただろう。随分と書いてみた。しかし、どうしても納得のいく字が書けなかった。仕方がないので名前だけを更に苦労し、知人の建築家やデザイナーなどにみせてやっと城崎に送った。 私は、私の作品中「城の崎にて」は好きな作品である。記念碑が出来てうれしい。 |
志賀直哉・文学碑は、城崎温泉文芸館正面入り口横にある 藤野つとむ 志賀直哉先生スケッチ・・ゆとうやギャラリーに展示 |
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